今回は「染の小道」とは切っても切り離せない「暖簾(のれん)」について。暖簾の宣伝ツールとしての歴史は古く、鎌倉時代の絵図にはすでに、屋号を示したであろう鶴の画を目印とした暖簾が描かれています。江戸時代には染色技術の発展とともに、さまざまな色合いの暖簾が町を飾った様子が伝えられています。
暖簾の染め色は、業種によってある程度の定番がありました。最も多く使われた地色は「藍色」。藍染めはタデ藍の葉を発酵させた染料を使います。その独特な匂いが虫避けになるというので、呉服商が好んだという説があります。その他の業種でも、金融業など手堅さを身上とする業種が、藍染め暖簾をよく使っていたという記録が残っています。
一方、手堅さの対極にある遊郭では、藍よりも少し紫がかって派手な「縹(はなだ)色」や、赤みがかった茶色の「柿色」が使われていたようです。なかでも柿色は、高級店を示すサインだったとか。
柿色に比べ黄色がかった「茶色」は、もっぱら煙草商が掛けていました。また白生地に墨文字のシンプルな暖簾といえば、ようかんの老舗「とらや」が代表格。清潔さを旨とした菓子商や薬商に多い暖簾です。