東京の染めは神田から西へ

粋な江戸小紋、渡来更紗を手本に型で摺り染め和更紗とした江戸更紗、明治時代末から花開いた東京友禅など、東京都には伝統を継承する貴重な染色工芸が今でも存在します。

東京の染色業は慶長年間(1596年~1615年)、徳川家康が現在の神田界隈に紺屋町を定め、職人を集めたことに始まります。江戸が物流の中心を占めるにつれ、全国各地から職人が集まり、技術が磨かれていきました。明治になって工業化が進み、明治末期から大正、昭和の前半まで、東京の染色業界は最盛期を迎えます。

この頃から、工業化や家庭からの排水で川が汚れ、澄んだ水を必要とする染色業は徐々に上流に遡っていきます。落合周辺での開業は戦後の数年間に集中。朝鮮戦争や高度経済成長による高級和服ブームなどが小紋や友禅染めの需要を刺激し、新宿区内の染色関連業の事業所数は昭和38年にピークを迎えます。

45年前の旧江戸川(神田川)水系流域、染色関連業550事業所の分布。現在の落合周辺に染色業が集まっていた(出典:星野静衛『江戸川流域における染色業の形成過程』, 経済地理学年報第16巻 第2号, pp24-43, 1970)
45年前の旧江戸川(神田川)水系流域、染色関連業550事業所の分布。現在の落合周辺に染色業が集まっていた(出典:星野静衛『江戸川流域における染色業の形成過程』, 経済地理学年報第16巻 第2号, pp24-43, 1970)